2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。

平成15年度の最後の日に


2004.3.31


平成15年度も本日で終わりです。歴代教室員一覧をみていただいても分かりますように,長年,我々の教室で研究補助員として働いていただきました 坂口治子 さんが,今日一杯で,我々の教室から移動されて,平成16年度からは 組織培養免疫センターの研究補助員さんとなることになっております。

長い間,本当にありがとうございました。

不肖,大槻は,帰国した1996年4月より,坂口さんに実験補助を頼りっぱなしで,坂口さんには,余り好みでなかった培養についても,2002年くらいまでは,骨髄腫の仕事をする中で,どうしても(私が大学院の頃,たまたま3つの株の樹立が出来たということもあって,株細胞を使う仕事が多くなってしまったので)中心に据えざるを得ず,毎日のように遅くまで超過勤務覚悟で,培養をお願いしたりしておりました。また,他施設のプライマリー検体を頂きに行くのにも,私の都合がいつも付く訳でもなかったりもしたので,突然にお願いしたり,大変な想いをしてもらいました。

お蔭様で,単一施設としては国際的にも稀有なカンジで,自前のヒト骨髄腫細胞株を14株ほど,所有するに至り,これらの細胞株は,国内外から,供与依頼も絶えない状況です。本当に,これらの成果は,坂口さんが骨髄腫の実験補助を,心底,丁寧にしてくださった賜物と思っておりますし,いくら深謝しても足りない程と,感じております。

今年度後半より,別記のように,事情もあり,骨髄腫の仕事を quit し,「環境免疫学」中心に実験を饐えていくことにしましたが,骨髄腫の研究の中で培ってきた手法等を有用に利用してくださって,こちらでもなかなか良い成果を出してくれております。

これらの貢献に対して,我々の出来ることは,勿論,居心地良く働いてもらえるような環境作りとかは当然としても,論文に著者として入っていただくということも一つの形と考えてきました。お蔭様で pubmed で検索する限りでも,多くの論文に共著者として入っていただけました。これが,坂口さんのキャリアとして,何をどうするものでもないかも知れませんが,メモリーの一つとしては,形として残せてよかったなぁって思っております。

こういう実験関連以外でも,購入物品等についてや教室の備品についてや,その他諸々,「生き字引」というのは「お局」的ニュアンスが入りますので,そうは書きませんが(書いてるじゃないかって!!),いろいろとそういう方面でも,優秀な記憶力と整理された統合力を発揮してくれていまして,大いに助かりました。

その他,私がボーイスカウトの指導者めいたことをやっていた時には,さすがに化学科出身の才能で,キャンプファイアーの緑や青や紫の炎の作製にも,大いなる助言を下さいまして,成功裡に終えることも出来ましたし,1999年に同門会誌を手作りで作った時は,勿論,いろんな助成金の申請書や,科研等の報告書の作成にあたっても,事務的能力(っていうか,即ち,実験とかでも一緒で,整理や整合性や統合性や,ちょっとした応用力や,そういうものの総和なのですが)を最大限に発揮してくださって,本当に助かりました。

感謝の言葉は尽きないのですが,今度は,これらの才能が,培養センターの厳しい補助員さん的には,転向していかないように,願うばかりでもあります。

重ねて,本当に長い間,ありがとうございました。

今後も,主として働いている場所も近いので,気楽に情報交換っていうか,立ち話や,実験等の相談や,ディスカッションなどをしましょうね。
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年度末にあたり,ということで書き出しましたが,実は,坂口さんが今年度一杯という話に終始しました。実は,今年度は,私が昇任させていただいたことから始まり,このHPの立ち上げなどもあったのですが,それらについては,教授挨拶等で雑感をご覧ください。

今年度の総括というほどのものもなく,それは,新年の挨拶や,昨年秋の方向性宣言で適っているものと思ってます。先週の日本衛生学会でも3題の演題を出せて,それらは近々に論文として投稿できるように,最後の詰めの実験をしたり,今後の方針についての討議をしているところです。

とにかく,行った実験は,すべからく論文という形で,残していく,逆に云うと,すべての実験は,論文を書く前提で進めて詰めていかないといけないということを,肝に命じておいて,次年度への抱負等は,年度が明けて(新メンバーも加わりますし),改めて記すことにしましょう。



大槻 記